04 千葉幸順(コンサート制作会社社長) | 福山雅治30周年スペシャル企画 七人の男が見た「至近距離の真実」
Fukuyama
FUKUYAMA MASAHARU 30th ANNIVERSARY 30周年スペシャル企画 七人の男が見た「至近距離の真実」 30年の間に、福山さんと仕事をしてきたアーティストやクリエーターたちに話をお伺いしました。 福山さんと向き合う中で生まれたさまざまな想いやエピソードが詰まったTRUE STORY。 福山さんの才能を引き出し、運命を変えた(かもしれない)方たちの語りをお楽しみください。
目次
  • 01 大泉洋(俳優)
  • 02 大友啓史(『龍馬伝』演出家)
  • 03 木﨑賢治(「Good night」音楽プロデューサー)
  • 04 千葉幸順(コンサート制作会社社長)
  • 05 萬年里司(音楽プロデューサー) × 06 川上泰司(宣伝プロデューサー)
  • 07 SION(シンガーソングライター)

千葉幸順(コンサート制作会社社長)

04 千葉幸順(コンサート制作会社社長)
〝友達〟からアーティストへ映画かドラマのようなワンシーン 04 千葉幸順(コンサート制作会社社長)  〝友達〟からアーティストへ映画かドラマのようなワンシーン

初めて福山くんに会ったのは1988年。当時、僕はアミューズの社員で、渋谷・並木橋にあった上司Kさんの2階建ての古い一軒家にひとりで暮らしているとき でした。映画『ほんの5g』の撮影中だけ住まわせようと思うとKさんから連絡があって、連れて来られたのが、紙袋ひとつだけ下げた福山くんでした。結局映画の撮影が終わってからもそのまま2階の部屋に住むことになるんですが、福山くんはいつも1階の僕の部屋にいて、ソファにあぐらをかいて、THE MODSや泉谷しげるさんのレコードを聴きながら、袋ラーメンをすすっているという姿が一番記憶にあります。当時、僕はサザンオールスターズや何組かの新人バンドをマネージメントする音楽班で、福山くんは役者班の所属。家にいるときはいつも一緒にいましたけど、仕事の相談だとかは記憶にないです。いつも一緒にバカ話ばかりしてました(笑)。

デビュー日の1990年3月21日に彼が引っ越し、僕も同じ時期にアミューズを退社したので、その後は会う機会は減っていたんですが、1992年秋の学園祭ライブを手伝うことに。当時の僕はアミューズとの関わりもなく、他のアーティストのライブ制作をしていたので、福山くんの人気がどれほどかあまりよくわかってなかったのですが、ある女子大では、校舎の周りを女子大生1,000人くらいが囲み大パニックになるくらいの人気者になっていて驚きました。

その後、僕が福山くんのコンサートに本格的に関わるのは2001年。アミューズのスタッフに相談されて、コンサート制作のお手伝いをすることになりました。福山くんからも、「千葉さんがOKだったらお願いしたいです」と言ってもらって、嬉しかったですね。でも、最初の仕事がいきなり東京ドームでしたから、驚きましたよ。それに、彼の変化にもいい意味でショックを受けました。僕にとって福山くんは、それまでは"友達"だったんです。しかし、デビューから10年経って、男性ソロアーティストのトップの位置にいる福山くんは、もう僕の知っている福山雅治ではなかった。アーティストとしての経験値もすごかったし、ギターも歌も格段にうまくなっていた。10年間、努力し続けてきたんだなっていうのをすごく感じました。そして2008年の「冬の大感謝祭」からライブのプロデュースを福山くん自身が担当するんですが、その前に福山くんと2人きりで会い、新しいライブ制作チーム作りについて話し合いました。感謝祭の後、「このチーム、いいと思うよ」と太鼓判をもらい、いまのスタッフィングの土台ができあがったんです。

これまでのライブの中でベストライブをあげるなら、初めての東京ドームライブ。1曲目の「友よ」の弾き語りでライブがスタートするんですが、映像に映し出された福山くんは、それまで見たことがないくらい緊張した顔で、くちびるが青くて細かく震えてて。

10年前、一緒に住んでいた福山雅治が5万人を前にしてライブをしているんです。まるで映画かドラマのようなことが目の前で現実に起こっている訳ですよ。アリーナ席の一番後ろで泣きながら観てました。

好きな福山歌

明日の☆SHOW」がダントツで好きですね。歌詞の「このリングでヒーローになる」とか、間違いなく男性に向けたメッセージソングじゃないですか。だからライブのセットリストに入ってないとがっかりするんです(笑)。それから、一番衝撃を受けた曲があって。 「I am a HERO」なんですけど、リリースされたとき、いまの会社を立ち上げてちょうど10年経った頃だったので、この曲は僕のために作ってくれたのかと思いました(笑)。

  • 明日の☆SHOW
    明日の☆SHOW
  • I am a HERO
    I am a HERO

千葉幸順さんへ

いつもライブ制作の現場ではお世話になっています。リハーサルやライブ会場では当然のことながら互いに仕事モードでなかなかゆっくりお話しすることは出来ていませんね。改めて今回の企画で千葉さんのお話しを聞くことが出来て嬉しかったです。ありがとうございます。僕にとって千葉さんは所属事務所アミューズの、この業界の大先輩です。千葉さんとの出会いは1988年。僕はアミューズ創立10周年で開催された10ムービーズオーディション(10本の映画を作る。10人の主演俳優を探す)に合格し事務所と養成契約になりました。契約金は年間3万円。月じゃ無いですよ、年です(笑)。で、当時渋谷区は並木橋の近くにあったアミューズの社員であるKさんのご実家、その一軒家で間借りをすることになった事が始まりでした。1階の6畳間に千葉さん、そして2階の4畳半に僕。家賃は1畳につき1万円と決められていて、だから僕の場合は4万5000円。ひと月分の家賃が年収を超えてる!と思いましたね(笑)。
それにしても、あの一軒家で過ごした時間は本当に面白くて楽しい時間でした。千葉さんはじめ同居していた先輩の皆さまにとっては良い迷惑だったと思いますが…(汗)。

当時千葉さんはバンドのマネージメントやライブ制作など、すでに音楽業界の現場のど真ん中でバリバリ働いていらっしゃいました。仕事が全然無く、バイトしかしてなくて時間を持て余している僕は、しょっちゅう千葉さんの部屋にお邪魔しては音楽業界のお話しをうかがったり、音楽談義をしてはレコードやCDを借りたりしていましたね。さらに、千葉さんの部屋には、当時では関税のせいで高額だったアメリカ産のバーボンのボトルが置いてあって。こんな高いバーボン呑めるなんて、千葉さんカッコいい!やっぱり音楽業界カッコいい!と思ってました。当時からバレてたと思いますが、千葉さんや間借りしていた他の社員さんがキープしていた冷蔵庫の中のものを勝手に食べたり飲んだり、さらには千葉さんが仕事で不在の時にビデオデッキからセクシーな映像作品を抜き取って、自分の部屋でしばし鑑賞したり(笑)。そんな、長崎から出てきた粗野な僕を叱ることもなく、"福山ってさぁー"、と言って笑い話にしてくれる千葉さんの優しさに甘えてばかりでした。

今は独立して千葉さんご自身で会社を経営されてますが、お互いがまだ若かった頃に知り合い、そして巡り巡って今また一緒にお仕事をさせていただいていることは本当に嬉しい限りです。千葉さんとあの家で同居させていただいたあの時間を振り返ると、やはり仕事というのは"ご縁"で出来てるんだなと改めて感じます。引き続きこれからもよろしくお願いします。あと!くれぐれもお体には気をつけてください。僕のマネージメントからの密告によると「千葉さん、ライブ会場で朝から晩までずっとお弁当食べてます。お弁当食べてない千葉さんを見たことがありません」と。我々まだまだ働き盛りです。食べ過ぎ注意で、健康な体でお仕事お願いします!

福山雅治
目次
  • 01 大泉洋(俳優)
  • 02 大友啓史(『龍馬伝』演出家)
  • 03 木﨑賢治(「Good night」音楽プロデューサー)
  • 04 千葉幸順(コンサート制作会社社長)
  • 05 萬年里司(音楽プロデューサー) × 06 川上泰司(宣伝プロデューサー)
  • 07 SION(シンガーソングライター)